(1)摂取不捨のご誓願を信じ,同行二人の信仰に励みましょう。
- 「悩めるもの,苦しむもの,最後の一人まで救い尽くすであろう」という弘法大師のお言葉を信じ,巡拝中は常に「お大師さま」とともに寝食をする思いで参ること。(参考:摂取不捨のご誓願は,一人も漏らさずという願いである)
- 弘法大師が常に巡拝者の傍らによりそって,ともにその行いを見守ってくれている(同行二人),という信念を抱き巡拝することが肝心である。
- 弘法大師への信仰が,まず何より先立つものであることを示唆している。
(2)何事も修行とこころえ,愚痴,妄言をつつしみましょう。
- 遍路は,日常すべての行動が「修行」というにふさわしい意義をもっている。
- 順風にせよ,逆風にせよ,それを生かすも殺すも,対応する人の考え行動の仕方によって決まる。
- 人には,限りなくものを欲しがる「貪り(むさぼり)」,他人を傷つけ,自らをも損なう「瞋り(いかり)」,ものごとの道理をわきまえない「癡さ(おろかさ)」がつきまとう。仏教ではこれを「三毒」という。
- 日常のちょっとした言葉遣いや,ささやかな行動の端々に現れるものである。これらは目的の達成に障害こそなれ,決して益にはならないという信条である。
- 困ったとき,苦しいときはこれが修行だ,お大師様のお試しを受けているのだと考える。
(3)現世利益の霊験を信じ,八十八使の煩悩の波を静めましょう。
- 私たちの人生は絶え間なく湧き起こる欲望との戦いである。往々,この欲望に挫折を感じ,また,陰に陽に他人を傷つけることさえある。仏教では,このように制御調整をはずれた欲望を「煩悩」と呼んで,排斥すべきものとしている。
- 5世紀半ばごろ,北インドで成立した書物『倶舎論』に,「八十八使の見惑」(けんわく)と呼ばれる誤った物の見方,考え方が列挙されている。
- 欲界・色界・無色界という「三界」において,人間の関わる生き方の中で,貪り,瞋り,癡さという「三毒」,さらにはおごり,疑い,といった障害を起こしやすいものの見方,受け取り方などを八十八並べ挙げている。これを霊場会では「八十八」という四国霊場の数の根拠としている。
- 「煩悩の波を静める」という表現は,人間の欲望は決して排斥されるべきものではなく,よりよく発揮されるように仕向けることこそ正しいあり方である。ことを意味している。
正確には「煩悩と呼ばれる状態の解消」であると理解すべきであろう。
(霊場会に連絡して,掲載のご承認いただき,先達教典より抜粋したもの) |