世界遺産に登録された参詣道である「慈尊院〜大門〜壇上伽藍までの高野山町石道(180町)」祈りの道を歩き,金剛峯寺と奥之院弘法大師御廟を参拝する。 (2015.2.26記)
「高野山」
*今回,2015年区切りー3(2015年1/29〜2/6)にて,四国八十八ヶ所歩き遍路15巡目を結願したので,高野山にお礼参りに行く。
過去に巡拝後は全てお参りしており,先達大会・ハイキング等を含めると20回目となる。
*金剛峯寺の本堂前にてお経をあげる。本堂に入り,納経する。
*寒い時期でもあり,お参りされる方,観光客も少ない。杖をひく人々は後を絶たずとは言い難い。
*一の橋からの参道は工事中で通行止め,奥之院前より参道に入る。辺りは何百年も経た老杉がそびえて深厳,静寂な霊気漂う。
何時もと変わらない。墓所には残雪あり,いつもと違う冷気に身が引き締まる。
*菅傘を取り,御廟橋を渡り,奥之院前の四国霊場会公認先達物故者慰霊塔に手を合わす。
*高野山中最も清浄な聖地,弘法大師いまだにおわします入定留身の地,弘法大師御廟に向かう。
*澄んだ玉川の清流がいやが上にも,心を浄めてくれる。
*香煙と読経は絶えない中,心を込めてお経をあげる。
*奥之院にて納経する。
*参道には巨杉と20万基を超える墓や供養塔が立ち並ぶ。弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰があり,世界最大級の
墓地を形成する。荘厳な参道を抜け,真言密教の根本道場として世界遺産に登録された山岳仏都,聖地<高野山>を下山し,帰途
に就く。
<付記>第35回四国八十八ケ所霊場会 公認先達大会が,高野山にて4月23〜24日(2日間)開催されるので参加予定。
高野山開創1200年 <高野山真言宗 総本山金剛峯寺>資料より
高野山は,紀伊半島紀ノ川の南方に位置し,蓮の花びらのような八葉の峰々に囲まれた平原の聖地です。弘法大師は,弘仁7年(816)に真言密教の根本道場とするため,嵯峨天皇に高野山下賜の誓願を上表されました。これにより嵯峨天皇から許可を賜り,七里四方の山林が弘法大師に与えられました。高野山の真言密教の聖地としての歴史はここから始まります。高野山を開創された最大の理由は,真言密教の修行道場の建立でした。都の賑やかさを離れ,大自然に包まれた深山高野の地こそが真言密教の修行に最適な場所だったのです。また,弘法大師はこの地を,自らが入定の地と定め,承和2年(835)3月21日,「虚空尽き
衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」(この世に身を留め,未来永劫に人々を救い続けます)との壮大なご誓願のもと,高野山奥之院にご入定されました。高野山金剛峯寺は高野山全域を総称する山号寺号でした。高野山の中でも信仰の中心となす聖域が,壇上伽藍と奥之院です。弘法大師御廟のある奥之院は,一の橋から約2キロの参道に樹齢数百年もの杉木立があり,20万基以上ともいわれる名だたる武将・諸大名をはじめ多くの方々の墓碑が建立され,弘法大師の遺徳をたたえています。高野山は開創以来,多くの僧侶が修行し,教えと文化を継承しています。現在,117の寺院と商店とが一体となった町が形成され,52の宿坊があります。宿坊での勤行,精進料理,写経や瞑想の修行体験。また,5万点にもおよぶ収蔵物を有する霊宝館では,1200年の歴史や文化に触れていただくことができます。平成27年(2015)は,悠久の星霜を経て高野山1200年に相当いたします。同年4月2日から5月21日まで50日間「生かせ
いのち 大師のみおしえ いまここに」のテーマのもと,高野山開創1200年記念大法会を執り行います。
「高野山町石道」
*南海電車 九度山駅にAM9.23着。真田庵に立寄り,また道中で柿の葉寿司を購入して,慈尊院に向かう。
*慈尊院は弘法大師の母公が眠る寺であり,女人禁制で高野山詣りは,ここ慈尊院までとされた。現在は子授け・安産・育児・授乳など
を願って乳房型や絵馬を奉納され,祈る女性の姿が絶えない。
*慈尊院に参拝して,石段途中の180町石を確認。MAP「高野山町石道コース」を持参して,町石をカウントダウンしながら辿る。
*5回目の高野山町石道の参詣になります。大変お気に入りのコースで皆さんに紹介しています。
*平成16年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され,現在ではお遍路さんのお礼参りの道として親しまれる。
*柿畑が広がり,紀ノ川や市街を遠望しながら,弘法大師の足跡を感じて・・表参道を菅笠・白衣装束で登る。
*木漏れ日の射す杉木立が続く,さらに続く。四国霊場の山寺遍路道をダブらせ,思いを馳せる。
*町石→高さ3m,五輪卒塔婆形で宝珠形・半月・三角・円・方形の五大を表す石柱。密教の諸尊を表す梵字,高野山に至る残りの町数
寄進者の願文が刻まれる。巡礼者や僧侶は卒塔婆に礼拝をしながら,山上に導かれる。
*コース・タイム(参考:南海電鉄発行のコースMAPでは,180町踏破<健脚向>⇒約20km・6時間5分)
慈尊院<180町石>9:56⇒展望台<166>10:19⇒六本杉<137>11:07⇒二ツ鳥居<120>11:33⇒神田地蔵堂<11
2>11:45⇒笠木峠<86>12:21⇒矢立<60>12:56⇒展望台<38>13:40⇒大門<6>14:29⇒壇上伽藍<1>14:3
9
*180町石道(約20km)の登り山道<標高差:約740m>を約6時間掛けてのコース道のりは一般には厳しい。
しかし,弘法大師の足跡を辿る参道には気分を紛らわし,疲れを感じさせない史跡・アクセントが多くある。
六本杉・二ツ鳥居・神田地蔵堂・弘法大師伝説の三石(袈裟掛石・押上石・鏡石)や要所に展望台・矢立茶屋などがある。
良く整備され,眺望も楽しめ,ハイキング道としても親しまれる。
高野山町石道 <高野山真言宗 総本山金剛峯寺>資料より
古くから高野山へ向かう道は幾本もありました。それらの道は山に近付くにつれて合流し、七つの道に集約されていきました。これを高野(こうや)七口と呼んでいます。この七口のうち、九度山の慈尊院から山上の大門へ通じる参道を「町石道(ちょういしみち)」といい、お大師さまが高野山を開創された折、木製の卒塔婆を建てて道標とした道とされています。また、慈尊院にはお大師さまの御母公がお住みになっており、御母公へ会うために月に9回はこの道を通って下山しておられたことから、慈尊院周辺地域の地名が「九度山」となったともいわれています。時代が経つにつれ木製の塔婆の損壊は激しくなり、鎌倉時代に高野山遍照光院の第九阿闍梨、覚きょう僧正(かくきょうそうじょう)が再建を訴え、後嵯峨上皇や北条時宗(ときむね)などの権力者による援助を受けて、朽ちはてた木にかわって石造りの五輪塔婆形(ごりんとうばがた)の町石が一町(約109メートル)ごとに建てられるようになりました。この町石は根本大塔を起点として慈尊院まで180町石が建立されて胎蔵界曼荼羅の百八十尊を表し、更に大塔から奥之院まで36町石が建立されて金剛界曼荼羅三十七尊として両界曼荼羅の世界を象徴し、さらに36町ごとに里石(4本)も建てられ、約20年の歳月をかけて完成されたと伝わっています。また、各時代の天皇、上皇さまの御行幸をはじめ、多くの信者さまが一町ごとに合掌しながら登山され、信仰の道として親しまれました。
以 上
高 野 山 |
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大門 |
金剛力士像<吽形像> |
金堂 |
根本大搭 |
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大会堂 |
東塔 |
壇上伽藍 境内 |
大師教会 |
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金剛峯寺 前 |
金剛峯寺 正門 |
金剛峯寺 |
高野山 小田原通辺り |
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苅萱堂 |
一の橋 (工事中で通行止) |
中の橋案内所 前 |
参道 |
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織田信長 墓所 |
参道 |
水向地蔵 |
奥之院 弘法大師御廟の橋 |
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高野山町石道 |
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九度山駅 |
真田庵 |
慈尊院 総門 |
慈尊院 境内 |
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慈尊院 石段途中右側に180町石あり |
180町石 高野山表参道スタート地点 |
174町石 柿畑を登る |
紀ノ川・橋本市街眺め良し |
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162町石 辺り |
150町石 辺り |
144町石と1里石(36町) |
142町石 辺り |
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137町石 六本杉 |
120町石 「天野の里」を遠望 |
120町石 二ッ鳥居 |
117町石 辺り |
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113町石 辺り |
112町石 神田地蔵堂 |
110町石 辺り |
95町石 紀伊高原CC辺り |
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86町石 笠木峠 |
77町石 辺り |
74町石 辺り |
70町石 |
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62町石 辺り |
60町石 矢立 「矢立茶屋」あり |
60町石 茶屋より急登り |
58町石 辺り |
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55町石 袈裟掛石 |
54町石 押上石 |
53町石 新旧2基の町石 |
50町石 辺り |
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38町石 展望台 |
33町石 遠望に弁天岳 |
30町石 辺り |
28町石 鏡石 |
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25町石 残雪あり |
12町石 最後の急登 |
6町石 大門 |
1町石 壇上伽藍の柵にあり |
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