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2005月6日「高野三山」 
本例会では高野山極楽橋から女人堂へ登る不動坂コースを辿り,弁天岳より大門に至る計画であった。しかし予期せぬ事に難波駅に不動坂コースの参詣歩道は崩落しており,2月末まで整備中で通行禁止の張り紙がされていた。情報キャッチ不足であったが,そこは山行経験豊かで臨機応変に対応できる玉置CLの即断で高野三山巡り<高野山奥の院を囲む摩尼,揚柳,転軸の三山を巡る>に変更することになり,取敢えず高野山に向かう南海高野線<極楽橋行き>の電車に飛び乗る。極楽橋よりケーブルから南海りんかんバスへと乗り継ぎ,既に気温はー4℃,20cm程の冠雪状態である起点の奥の院バス停に到着。身繕いして早々に摩尼山に向け出発する。案内所前を通り園墓地内に入り,綺麗に除雪された杉や檜の数百年の老樹が林立する参道を行く。右手の英霊殿前で左折して御供所を左手に見やりながら,裏道車道に入る。
高野三山を歩く

天気は快晴申し分なし。車止めを越え杉木立のなか積雪を踏みしめ,時おり倒木を潜り進む頃には右方から強い陽射しを受ける。
積もる白雪はキラキラと輝き眩しい。山道狭く一列縦隊で暫く進むと林道と合流して,更に道なりに行くと「摩尼山」登り口の標識が目に入る。此処で小休止してアイゼンを装着する。左の山道に入り,緩い登りが続くが雪深く思うほど進まない。辺りはいよいよ森閑として雪を踏みしめる乾いたキュキュと鳴る音のみ。冠雪で垂れるアセビの枝を払い,大杉の倒木を避けて進むと勾配のある登りになり,尾根に辿り着くと樅の大木ある摩尼山である。高野三山道の道標を確認して左折れ,カツラ・山桜・ミズナラなど広葉樹の巨木を縫う尾根捲き道を登る。一時急な階段が続くが,周りの美しい霧氷に目を奪われ,また時おり谷筋からの風に小雪舞い散る光景が,疲れを忘れさせてくれ雪山ハイクを楽しむ喜びに浸る。気分良く順調なヘ°ースで原生林の斜面を登り,再び尾根に取り付く。奥の院バス停を出発して,ほぼ1時間で摩尼山山頂(標高1004m)に着く。展望良くないが,まずは記念写真を撮り一息入れる。高野山浄土信仰の広まりで高野三山及び峠にも祠が祀られており,ここ摩尼山頂には衆生の苦しみを救い,福と知恵を授けてくださる如意輪観音を安置した祠がある。

高野三山を歩く
温かい飲み物と軽い食べ物を取り,次の揚柳山に向かう。標識には『高野七口女人道』とある。弘法大師の入定以来,信仰が広まり高野山へは古来高野七口と呼ばれる七つの街道<信仰の道>を辿って入山した。しかし,女人は明治5年に女人禁制が解かれるまで山内に入れなかったので,高野三山を巡り大師御廟を拝み,夫を偲んで歩いた道が女人道である。高野六木の樹間に,木漏れ日が射す稜線を少し下ると前方の視界が開け眺め良く,形の良い揚柳山の全容が確認できる。稜線には数日前の寒波で30cm以上の積雪である。確りとした足取りで踏みしめ,谷間より冷たい吹き上がる風を頬に受け,更に尾根伝いに下りると幾つもの道標と小さな祠がある分岐の黒河峠に着く。右折れは黒河口(道)で,今は廃村となった黒河村を経て,久保に至る道だが荒れ果てている。左折れは奥の院へ戻る。
高野三山にて記念写真

此処は休憩せず直進して登り返す道を行く。最後は少し急登で息も上がるが,周りの僅かに残された常緑樹の自然林を見ながら,高野三山の最高峰である揚柳山山頂(標高1008.5m)には,PM12.20に着く。比較的広めの山頂でもあり頃合いとみて昼食とする。ふと見ると案内板に「揚柳山学習展示林」とあり,植生も多種・多層に渡って分布・混生しており,学術的にも貴重であり保全されていることが伺える。目の届く所にツゲ・モミジ・ブナ等の標示板が木に吊るされている。ここ揚柳山には揚柳の枝で悪疫を祓う病気平癒,徐病の功徳ある揚柳観世音菩薩を安置した祠が祀られている。楽しいはずの昼食も展望は無く,雪中ではゆっくりと味わうゆとりも無い。兎に角,熱い飲み物で冷える身体を多少なり温め,三等三角点と転軸山へ20丁の石塔を確認して,早々に最後の転軸山へと向かうことにする。
高野三山を歩く

尾根伝いに杉木立の中を左巻き急降下する。此処は慎重に踏み跡を辿り安定した歩行で進むと,樹間に裾野のあるどっしりとした金剛山の雄姿が望める。程なく平坦な尾根となり,左は「奥の院」への道,右前方は雪池山を望む分岐となるが,此処は尾根伝いに直進して,2つコブを越えた見晴らしの利く小ピークで道標を確認して一息入れる。高野三山コースは分岐点や要所に「高野七口女人道」「高野三山登山道(女人道)」の道標が整備されており,初心者も迷わず歩け有り難い。怠りなく水の補給と軽い食べ物を取り出発する。初夏には淡紅色の優雅な石楠花<高野町の花>が咲く急坂を,アイゼンに助けられながら元気な足取りで一気に下ると子継峠に着く。正面の祠は安産・求子祈願の対象である子安地蔵,右折れは雪池山の山腹を巻き尾根伝いに下ると久保,北又を経て橋本方面へと繋がる。此処はほぼ直角に左折れしての急降下を行く。両サイドは林立する杉林で天空は無く,雪景を楽しむべくも無い。ただひたすら深い積雪に足を取られながら,額に汗の奮闘で緩く広い下山道に辿り着く。やがて玉川源流の沢沿いに架かる木橋を幾度と渡り,鳥獣保護の看板や小動物の足跡を見かけながら道なりに進むと,やがて杉林を抜け平坦な林道となる。やや安堵した気分に戻り一息入れて寛ぐ。雪質は乾雪で軽く,サラサラ状態であり極めて感触良好である。

高野三山を歩く

暫く進み車道に出ると転軸山への道標が目に入る。勾配ある木道の急登は疲れる足に負担がかかり厳しいが,玉置CLの「あと一息頑張れ」の掛け声に押されての奮闘で,5分ほどで転軸山山頂(標高915m)に着く。杉林に囲まれ展望は無い。未来に下界に降って仏となり,衆生救済・極楽往生へ導くとされる弥勒菩薩の祠がある。ゆっくりと寛ぐ状況でもなく,直進は森林公園方面に向かうが,此処は女人堂と別れ左折して奥の院御廟への下山道を行く。急降下の曲がりくねった道を一気に下ると,抹香匂う奥の院裏側に出る。辺りは鬱蒼とした老杉に囲まれ,静寂な霊気漂う中を澄んだ玉川の清流が流れる。自ずと心を浄めてくれる。飛び石を伝い渡ると弘法大師御廟である。弘法大師いまだにおわします入定留身の地であり,高野山きっての聖域とされる。参詣する人は必ず訪れる所であり,杖をひく人々は後を絶たず,香煙と読経は絶えない。奥の院を参拝して御廟橋を渡ると,両側は巨杉と20万基を超える墓や供養塔が立ち並ぶ参道である。弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰があり,世界最大級の墓地を形成する。荘厳な参道を抜け,真言密教の根本道場として世界遺産に登録された山岳仏都,聖地<高野山>を離れ,帰途に就く。